猿田彦神社の歴史
祭神・導きの神である猿田彦が災難を祓う
猿田彦神社は、天照大御神の命により天孫降臨したニニギノミコトを道案内した猿田彦大神を祀っています。もともと街道の出入り口に祀られる道祖神として伝えられてきたものですが、猿の字を冠する神様ということから庚申信仰と結びついたとされます。以来、60日ごとの庚申(かのえさる)の日に祭りを行い、猿にちなみ「災難が去る」「幸福が訪れる」という信心を集めてきました。ここ藤崎の猿田彦神社も唐津に延びる唐津街道の出入り口に建立され、数百年の歴史を紡いでいます。
平安時代から広まった庚申信仰
8世紀後半、平安時代のこと。60日に一度訪れる庚申の夜に、眠ることなく夜を明かすという庚申信仰が中国より伝来しました。それは人間の体の中にいるという三尸(さんし)の虫が、庚申の日に人が寝ている間に体の外に抜け出し、天帝(古代中国の天上の最高神)にその人の罪や過失を告げ、寿命を縮めるという謂れに由来するものです。虫が出ていかないよう寝ずに夜を明かすことを庚申待ちと呼び、日本では貴族を中心にこの庚申信仰が広がり江戸時代には庶民にも親しまれるようになったそうです。
啓きの神として進学・出世祈願の参拝も
毎年初めの庚申の日である初庚申大祭には多くの方々が参拝に訪れる猿田彦神社ですが、授与品の猿面を玄関に掛けることで魔が“去る”と伝えられています。猿が外から入って来ようとする魔に睨みを利かせているため、1年間を安寧に過ごすことができるのです。また初庚申が混み合うため、近年では年の最後の終(しまい)庚申の日に猿面を返納し、新しい面を受けて新年を迎える方々も増えてきました。猿は木から落ちないため、受験生の合格祈願として猿面を受けられる方々も多く、猿田彦の神徳が広がっているようです。